仁(Jin)のプロフィール
どうも、
仁のプロフィールへ、ようこそおいでくださいました。
このプロフィールは僕自身の紹介をさせていただきながら、人間心理の本質に切り込むメモをちりばめています。読むだけでもあなたの今後の人生のご参考になれると思いますので、少し長くなりますが、最後までお付き合いいただければと思います。
では、仁のプロフィールへどうぞ。
擬態して周囲の景色に溶け込むカメレオン
「あなたは大器晩成だから、焦らなくても大丈夫よ」
これは幼少期に母から言われた言葉です。
「大器晩成」とは「大きな器は完成するまでに時間がかかることから、真に偉大な人物も大成するのが遅い」という意味であり誉め言葉なのですが、自他ともに認める出来損ないの失敗作のような人間だった当時の僕にとっては、残念ながら単なる慰めの言葉にしか聞こえませんでした。
かつての僕は、人とまともにコミュニケーションをとることさえできない人間でした。周りから否定されるのが怖い、批判されるのが怖い、人と会話をすることも目を合わせることすらも怖くてできない…
いわゆる典型的な”対人恐怖症”です。
だからひたすら目立たないよう、誰の目にも触れないよう、あたかも擬態して周囲の景色に溶け込むカメレオンのようにして、ずっと生きてきました。
とにかく人が怖い、人と関わりを持つのが苦痛でたまらない。でも学校や職場に行けば、必ず誰かと関わらなければならない。何かしら周りとコミュニケーションをとらなければならない。
当然ですが、この社会で生きる限りは人間関係から逃れることはできません。どんな人であっても。
かつての僕には、この世界のどこにも居場所はありませんでした。
仁の人間関係メモ
実は「人生=人間関係そのもの」。
この人間社会は全てが、人と人とが関わることによって成り立っています。
そして人の抱える悩みというのも突き詰めていくと、そのほぼ全てが人間関係に行きつきます。
なぜなら僕らの抱える悩みというのは、他人がいて初めて発生するものばかりだからです。
お金持ちになりたい、良い家に住みたい、出世したい、尊敬されたい、仲間や親友が欲しい、もっとスキルアップしたい、寄付をして社会貢献したい…全て他者がいて初めて成立する願望や悩みであり、そもそも自分と比較する他者がいなければこのような願望・悩みは生まれようがありません。
極論を言えば、この世界に人間が自分一人だけになれば、僕らが今抱えている悩みは全て無くなるわけです。
つまり「人生=人間関係そのもの」ということ。
操り人形
そもそもなぜ僕が対人恐怖症になったのかというと、そのきっかけは子供時代にまで遡ります。
……
……
『 目の前には、まるで犯罪者を尋問するかのように立ちはだかる屈強な男
そしてその前にはうつむいて正座し、恐怖で顔を硬直させた一人の小さな男の子がいる… 』
この屈強な男というのは僕の父であり、小さな男の子はかつての僕自身。
僕の家は代々警察官の家系で、三度の飯より仕事が好きという警察官の父のもとに僕は生まれました。
学生時代にはスポーツでトップクラスの成績を残し、警察官になってからは誰よりも仕事ができると言われ、自信に満ち溢れた父。他の誰よりも努力し、そして常に結果を出し続けてきた男。
そんな父は、子供である僕にも自分と同じことを求めました。
「常に努力し、そして目に見える結果を出し続けろ。お前が私の子供であるなら、それができるはず。いや、できなければならない。」
子供時代の僕は、そうやって毎日のように父から圧力をかけられながら生きてきました。
しかし僕は、父の期待に応えることはできなかった。いや、実際に努力して結果を出せたこともある。が、父は一ミリも満足してくれなかった。結果を出せなければ激怒される。結果を出しても、ことごとく全否定されて同じく激怒される。
僕は毎日のように正座させられ、説教を受けていました。父から毎日のように僕を全否定するかのような言葉をぶつけられ続けました。
その結果、僕は壊れた。
完全に自分の殻に閉じこもり、気づけば誰ともまともにコミュニケーションがとれなくなり、鬱のような症状も出始めるようになってしまった。
そしてそんな僕は、イジメの標的となってしまいました。
何をやっても黙っている。何をやっても言い返してこない。
イジメる側からしてみれば、まさに格好の標的です。
ただ僕をイジメてきた相手は、同年代の子供たちではありません。
僕をイジメたのは、大人の男たちです。
学校の担任、スポーツクラブの指導者、部活動の顧問…絶対的な権力と腕力を持った大人の男性たちから、あからさまな嫌がらせや体罰を僕はずっと受けてきました。
家庭にも、そして学校にも、僕の居場所はなくなってしまった…
そうして逃げ場を失ってしまった僕は、完全な対人恐怖症となりました。
そんな対人恐怖症の僕が人間関係の中で生きていく方法は、ただひとつ。
誰にも気づかれぬよう擬態して周囲の景色に溶け込むカメレオンのように息をひそめて生きていく。そうするしか、あの時の僕にはできませんでした。
しかし、それが通じるのも子供の間だけ。
大人になり社会人になれば、様々な責任を負わなければならない。
仕事をするにも、周りの人間とコミュニケーションをとり、協力し連携していかなければならない。
どうすれば周りの人たちから受け入れてもらえるだろうか…?
自分なりに考え、懸命に努力しました。
その結果僕は、常に他人の機嫌をうかがい、どんな人間を演じれば周りから受け入れてもらえるか?ということしか考えることのできない人間になっていました。
「自分がどうしたいのか?」ではなく、「どうしたら相手の機嫌がよくなるのか?」
「自分の意見や考えを主張」するのではなく、「どんな発言をすれば相手にとって都合がよいのか?」
どうすれば相手に拒否されないか?
どうすれば周りから嫌われないか?
どうすれば誉めてもらえるか?
どうすれば仲間として受け入れてもらえるか?
行動を起こす際の基準が全て「他人の評価軸」となり、僕は他人の望む人間を演じることしかできなくなっていた。
いつでも自分たちの思い通りに都合よく動いてくれる人間…まさに「操り人形」。
僕は自ら進んで他人の操り人形となっていたのです。
仁の人間関係メモ
実は僕ら人間の行動は、承認欲求によって操られています。
承認欲求とは、他人から認められたいという心理的な欲求や願望のこと。
僕らの日々の行動は、実は自分の意思ではなく承認欲求によってその多くが決定されているのです。人は独りでは生きていけません。自分の力だけでは生きていけないのが僕ら人間です。
だからこそ僕ら人間は仲間や集団(組織・会社・国家)を作り、協力することによってお互いを守り、助け合って生きているのです。そしてこの仲間や集団からはじき出されてしまえば、この社会で生きていくことがとても困難になります。これがはるか昔の原始時代であれば、部族から追い出されてしまえば、か弱い人間などあっという間に死んでしまいます。
では仲間や集団からはじき出されないためには、どうすればいいか?
そのためには、その集団のメンバーから認めてもらわなければなりません。ここに居ていいと、周りから承認してもらわなければならないわけです。つまり承認欲求とは、生存本能に根差した根源的な欲求なのです。
だからこそ全ての人間に備わっている欲求であり、この承認欲求を100%完全に捨て去ることは誰にもできないのです。とは言っても、この承認欲求が悪いという話ではありません。
みんなの中に承認欲求があるからこそ、この社会のバランスや秩序も保たれているのです。重要なのは、自分の中に承認欲求というものがあるんだということに気づき、それに振り回されないこと。自分の承認欲求をきちんと認識し、自分の管理下に置きコントロールすること。
自分の承認欲求を認識できているのかによって、人生のクオリティそのものがまるで変わります。
思考は現実化する
あなたには、憧れる「ヒーロー」はいますか?
子供時代に夢中になったヒーロー。
尊敬し、憧れる人物。
理想とする人物像や姿…
社会人になってからも、一向に対人恐怖症も克服できず、地を這うほどに自己肯定感の低かった当時の僕。
僕の人生には絶望しかない。
夜布団で眠りにつく時、「あぁ、このまま眠ったまま明日が来なければいいのになぁ。今日で世界が終わってくれたらいいのに…」と何度も願った。
そして朝目覚めてこの世界がいつもと変わらず存在し続けることに、何度も絶望した。
でも、なぜだろう。心の中にブスブスと燻り続けるものがある。
「俺の人生、こんなものじゃないはず」
「こんなところで終わってたまるか」
そんな野心ともいえる火種が、心の隅っこで燻り続けていました。
そして今でもよくわからないのですが、当時憧れていたヒーローや憧れている人たちに僕もなれる可能性が残されていると、根拠も何もないのになぜだか心の中で密かに思い続けていたのです。
「自分を変えたい」
「理想の自分になって、自分の望む人生を生きたい」
僕はそう何度も心で、数えきれないほど願いました。
そして自分なりに、変わるための努力もしました。
職場でも成績優秀な人に頭を下げて教えを請い、一生懸命その人のやり方を真似して自分に取り入れる努力も最大限しました。
でも僕は、変わることができませんでした。
どんなに頑張っても、どんなに成績優秀な人と同じやり方をしても、全くと言っていいほど結果を出すことはできませんでした。
なぜ僕は変われなかったのか?
あれだけ頑張ったのに、どうして僕は結果を出すことができなかったのか?
その理由は、
「”変わりたい”と心で願いながらも、”僕なんてどうせ変わることなんてできない”と確信めいた予測をしていたから」です。
仁の人間関係メモ
あなたは「思考は現実化する」という本を読んだことはありますか?
または「引き寄せの法則」という言葉を聞いたことはありますか?これらを一言で説明すると、「自分がこうなりたい、こういうものが欲しいと強く思ったものが引き寄せられ現実化する」という法則です。
「そんなバカな話があるか」と思う人もいるかもしれませんが、僕はこれは真実だと思っています。かつてイギリスの植民地だったインドを独立へと導き、後世の偉人たちに多大な影響を与えたマハトマ・ガンジーが残した言葉に「人は思っている通りになる」というものがあります。
これは「人間とは思考の産物であり、人は自分が考えたようになる」ということなのですが、実は人は「自分はこんな人間だ」と考えている通りの人間になるのです。
つまり自分に対する自己イメージ(セルフイメージ)が設計図となり、今のあなたの性格・思考パターン・行動パターン・キャラクターなどが作られているということ。とは言っても「頭で考えたことが、そのまま現実になってくれる」なんてことは、もちろんありません。
正確には、「頭で思い浮かべたこと」ではなく、「頭でリアルに予測したこと」が現実となるのです。だから、例えばいくら頭で「お金持ちになりたい、お金持ちになるぞ」と考えても、「いや、やっぱり自分には無理なんじゃないか」と予想していると、お金持ちになれない現実がやってくるわけです。
なぜなら「お金持ちになったことのない人間がお金持ちになった状態を想像」するよりも、「お金に困っている状態を想像」するほうが、当然ですがよりリアルに、より具体的に想像できてしまうからです。そもそも今現在お金に困っているわけですからね。残念ながら人間の脳というのはよりリアルに考えたことを現実と認識し、現実化するようにできているのです。話は変わりますが、あなたは梅干しやレモンを食べたことはありますか?ありますよね。
では、梅干しやレモンを食べた時のことを今リアルに思い出してみてください。
あの歯ごたえ・酸っぱい味…リアルに思い出してみてください。…口の中からジワ~と唾が出てきませんか?
実際に梅干しやレモンを食べてもいないのに、想像しただけで食べた時の状態を体が再現してしまう。なぜなら今までに梅干しやレモンを食べたことがあり、その味や酸っぱさをリアルに頭の中で再現できるからです。
リアルに想像すればするほど脳はそれが本当に起こっていることだと錯覚し、実際に体に変化を起こし始めるということ。願ったことが現実となるのではなく、よりリアルかつ具体的に予測したことが現実となる。
これが引き寄せの法則の正体です。望む現実を引き寄せたいのであれば、望む現実をよりリアルに、そしてより具体的に頭の中で再現しなければならない。そのためには今ある環境を変えること。例えばお金持ちになりたいのであれば、お金持ちのいる環境に飛び込んだり、お金持ちとつながりや関わりを持つようにし、お金持ちの現実を具体的かつ詳細に知る。そしてすでにお金持ちになったつもりでものごとを考え、行動していくことです。
人生の主人公
変わりたい、自分を変えたいと幼少期から願い続けてきた僕。
でも、いくら頑張っても変われない。
いくら努力しても現実を変えられない。
どんなにあがいても憧れたヒーローには、僕はなれない。
…しかし人生の転機は、予告もなく突然訪れた。
当時の僕は人生の突破口を得るために、様々な人が発信するネット上のブログやSNSをさまよっていました。そんな中、結果を出し続ける一人の起業家のブログを参考にさせていただいていたのですが、その起業家がとある日のブログの記事内で起業家仲間4人と音声対談を収録していました。
何気なくその音声を聞いていたのですが、そのうちの1人が対談の合間にポツリと「セルフイメージが低いと何をやってもうまくいかないからね」と、一言だけ発しました。
その時の僕は、「セルフイメージ」という言葉の意味もよくわかってなかったのですが、その人の言葉、というかその人の声そのものが、なぜか僕の胸に突き刺さりました。
なぜだかわかりませんが、僕の直感が「この人は本物だ」と頭の中で大声で叫んでいるのです。
しかしその音声対談には出演者の本名は乗せられていなくて、ニックネーム?のような名前しか手がかりがありませんでした。そのニックネームを調べてはみたのですが、結局はどこの誰だか判明しませんでした。
一度は諦めたのですが、しかし一か月たっても二か月たっても、あの時のあの人の声が胸に突き刺さって抜けない。僕は改めてあの時の声の主を探し始めました。
…数か月かかりました。
とうとうあの時の声の主が運営しているブログに行きつくことができました。
そしてその人物は僕の思っていた通り…いや、僕の想像をはるかに超えていた。
その人は、僕の望む人生・僕の憧れる生き方をまさに体現しているかのような人でした。
「この人のようになりたい」
「この人のような生き方がしたい」
僕はその人の発信する言葉・文章を、まさにむさぼるように読み漁りました。
そしてその人の教えを学んでいるうちに、僕はこれまで自分の人生を生きてこなかったことにようやく気付きました。
これまで僕はいつも他人の価値観や基準に合わせ、自分が正しいと信じることではなく他人が「正しい」と言うことばかりをやってきた。
僕の人生であるにもかかわらず、僕の人生は他人の価値観がまるで法律であるかのようにまかり通っている。僕の人生を決めるのは僕であるはずなのに、他人の許可がなければ僕は自分で何も決められない。
僕はこれまで自分の人生を生きてこなかった…
仁の人間関係メモ
あなたはこの世界の主人公でもなければ中心人物でもない。
しかしあなたの人生の主人公はあなた自身。
だからあなたの人生は、いついかなる時もあなたを中心に動いていなければならない。「自分の人生は、まず自分があって、そしてそのあとに他人がある。」
こう言うと、少し傲慢に聞こえるかもしれません。別に僕は、「他人なんてどうでもいい」「他人など、ないがしろにしてもいい」と言っているわけではありません。ただ、自分はこの世界の中心ではないが、自分の人生においては自分自身が常にその中心にいなければならないのです。あなたの人生を決めるのはあなたであり、他人を中心にするということは他人の人生を生きるのと同じこと。自分の人生は常に、まず自分があって、そのあとに他人があるのです。
そして自分の人生の主人公が自分であるのと同じように、他人の人生の主人公は他人であるその人自身。「自分の人生の主人公は自分」ということを理解しているからこそ、「他人の人生の主人公はその人自身」ということも理解できるし、それによって他人の人生を尊重することもできるようになるのです。
自分に対して誠実にならなければ、自分の望む人生は生きられない
変わるきっかけを掴んだ僕は、それから自分と真剣に向き合いました。
人にやらされてやるのではなく、それをやる意味を常に自分で考え自らの意思でやる
他人が正しいと言うことをやるのではなく、自分が「正しい」と思うことを貫く
ものごとを他人の判断に委ねるのではなく、きちんと自分の頭で考え自分で判断し自らの意思で行動する
頭を常に回転させ続け、思考停止に陥らない。一つひとつのことに対して必ず自分の頭で考え、そして自分の意思で行動を起こす。自分の人生において起こることは全て自分の行動によって生まれた結果であり、言わば自らが招いたもの。何が起ころうと全て自分の責任であり、他人のせいにして言い訳をするといった無駄な行為は一切やめる。
自分の人生に対して自ら責任を持つ。ようやく僕は自分の人生を自らの足で歩き始めることができた…
仁の人間関係メモ
「自分が犠牲になってもいい、それによって他人が幸せになれるのなら。」
自己犠牲というのは、尊い行為だと思います。僕自身も、自分よりも他人を優先してあげることはもちろんありますし、他人のために自ら進んで自分の時間やお金や労力を使う(犠牲にする)こともやはりありますし、それによって結果的に相手が喜んでくれたり幸せになってくれたりしたら、「やって良かったな」と思ったりします。
しかし人というのは基本的に「自分自身が充実した人生を生きていなければ、他人を助けてあげられない・救ってあげられない」のです。
例えばあなたが経済的に困っているとします。そこで、お金を稼いで豊かになる方法を誰かに教えてもらおうとするなら、どんな人に聞きます?
あなたと同じように貧困で苦しんでいる人に聞きますか?
きっと、経済的に成功して豊かな人生を手に入れているような人に聞くと思います。また例えば、あなたが人間関係で悩んでいるとします。
その悩みを解決しようとする時、あなたはどんな人からアドバイスをもらいますか?
あなたと同じように人間関係で苦しみ解決の糸口も見つけられないような人に聞きますか?
聞くとすれば、周りと良好な人間関係を築いている人や、人付き合いが上手そうな人ではないでしょうか。もちろん自分自身の人生が充実していなくても、できることはあります。今の自分ができる範囲で周りを助けてあげればいいと思います。
でも自分自身が充実していればしているほど、差し伸べることのできる手はそれだけ増えていくのです。だから周りを助けたければ、周りを助けてあげられるだけの現実をまずは自分自身が生きなければならない。周りを助けてあげられるだけの力や影響力を身につけなければならない。
そのためにも、まずは自分自身が充実した人生を送ることを目指す。自分のためだけでなく、自分の家族や仲間や自分が大切に思う人たちのためにも、自分の人生を充実させるのです。
僕の人生を変えてくれたスキルたち
僕は自身の人生を変えていくその過程で、様々なスキルを身につけていきました。
その様々なスキルをざっくり大きく分けると、次の4つです。
セルフイメージ書き換えスキル
「セルフイメージ(自己評価)≒自分自身の現実」です。
セルフイメージは自己の設計図であり、頭で思い描く自身のイメージに沿って人は行動し、その行動によってその人の現実は形作られていく。
僕は自身のセルフイメージを書き換えることによって、自らが理想とする現実に近づくことができました。
人間理解に基づいたコミュニケーションスキル
「人生=人間関係そのもの」という話を最初の辺りでしましたが、人間理解こそ人類最強のスキルであり、これは僕の持つスキル全ての屋台骨でもあります。
人間そのものを理解しているからこそ、相手が何を欲しているかもわかるし、場の空気もコントロールできる。人間理解を深めていくことによって、大げさではなく僕の人生そのものが激変しました。
感情コントロール
人の現実というのは、「思考する→行動に移す→行動が習慣化する→現実が変わる」という順で作られていきます。でも「こうしたほうがいい」と頭でわかっていても、その通りに行動に移せない、正しいとわかっていても行動に移せないことがありますよね。
なぜなのか?それは「感情」が邪魔をしているからなのです。
いくら正しい思考(判断)をしても、様々な感情(不安、焦り、恐れ、怒り、興奮、好き嫌い)が邪魔をし、思ったような行動がとれなくなっているのです。
人の「行動」を決めているのは「思考」ですが、その「思考」に影響を与え、その後の「行動」をコントロールしているのは「感情」。正しい思考によって最善の行動・そして最善の結果を得るためには感情のコントロールは欠かせません。
そして感情をコントロールできるようになると、不安や焦りといった雑音が頭の中から極力なくなるので、より合理的な判断や正しい決断ができるようになります。頭の中がよりクリアになるので、状況判断もしやすくなり、頭の回転もどんどん速くなっていきます。
かつての僕は「自分はなぜこんなにも頭が悪いんだ」と本気で悩んでいたのですが、その原因は単純に感情に振り回されていただけだったわけです。
モデリング
「モデリング」というと、単に「優れた人の行動や雰囲気や話し方を真似をすればいいのか」と思うかもしれませんが、そうではありません。ここでいうモデリングとは、自分が憧れる・尊敬する相手の表面上の真似から入り、さらにその人間の価値観・信念・感覚・考え方・判断基準…といった内面部分までも奥深く入り込んでいく。まさにその人間の思考回路そのものをモデリングしていきます。
そして何か問題にぶつかった時、何かしらの判断に迫られた時、その人になりきり、その人の思考回路を使って問題解決していく。まさにその人の思考回路そのものを自分の中にインストールしていく。これにより、普段の自分では得られないような現実がやってきます。
細かく挙げていけば、もちろん他にもいろいろなスキルなどがありますが、結局かつての僕がロクでもない人生を歩んでいたのは、知識やスキルが無かったからです。そしてこれらの知識やスキルが無かったなら、今も同じような人生、いやもっと悲惨な人生を歩んでいたかもしれません。
そしてこれまで頭を悩ませていた様々な悩みから今は解放され、自分の意思で自分の思い描く生き方を実現することに成功しています。が、実は今の僕はまだまだ理想とする人生にはたどり着けてはいません。と言うのが、人生のステージが上がるたびに「いや、もっと上を目指したい。もっと上には僕の想像をはるかに超えるステージが待っているはずだから。」と思ってしまうからです。
だから僕自身、一定の成功を得ることはできましたが、今もなお新たなことに挑戦中です。
ということで、このプロフィールもそろそろ終わりとなりますが、最後にこの言葉で締めくくらせていただきます。
「人は変わろうと思えば、今この瞬間から誰でも変わり始めることができる。また、いつどんなタイミングであっても、何歳からであろうと、人は変わることができる。必ず。」
僕は自身の経験を通して得たこの事実を、僕と同じ時代に生きる人たち、そして僕の後に続く世代の人たちに伝えたいがために情報発信を始めました。そしてそのためのスキルや方法を、これからも発信し続けていきます。なぜならそれが僕に与えられた使命であり、僕が存在する意義でもあると思っているからです。
そしていつの日か同じ仲間として、あなたと共に人生を語り合えたらいいなぁ。
と言うか、こんなに長いプロフィールを最後まで読んでくれた変わり者のあなたは、もう僕の仲間です(笑)
と言うことで最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ではでは。
仁より