#50『周りに遠慮しながら生きるのがバカらしくなった日』 | Life Compass

#50『周りに遠慮しながら生きるのがバカらしくなった日』

先日、死ぬ夢を見ました。

どこか暗い海のような場所へと引きずり込まれるように沈んでいき、誰かに何かを伝える間もなく、あっという間に体は足元から消滅していく。
そして僕の存在そのものが、あたかも最初から無かったかのように僕は消え失せていく。

…夢から目覚めた僕は、過去の自分を思い出していた。

 


葬儀という仕事柄、僕は日常的に“人の最期”に立ち会う。
これまで二十数年、さまざまな人を見送ってきた。
百歳近い長寿の方もいれば、生まれて間もない小さな命もあった。
社会的地位のある人もいれば、裏の世界で生きてきた人もいる。
多くの人に見送られる葬儀もあれば、誰にも見送られず静かに火葬場へ向かう方もいた。

そうして多くの“人生の結末”を見届けながら、若かりし頃の僕はいつしか、
人が生きる意味――
僕らはなぜ生まれてきたのか、
なぜ生きているのか、
この人生にいったい何の意味があるのか――
そんな、答えがあるのかどうかも分からない問いを、自分に投げかけるようになっていた。

 


誰もが等しく、いつかは消えてなくなる命。
そしてその命の灯がいつ消えるかは、誰にもわからない。
もしかすると――今日で僕の人生は終わるかもしれない。
…僕はいったい、あとどれくらい生きられるんだろうか。

そう考えはじめたら、何かに遠慮しながら生きるのが、心の底から馬鹿らしく思えてきた。

たとえ誰かに嫌われようとも、僕もその相手も、いずれは消えてなくなる。
全ては、いずれ無に帰す。
だったら、誰かに遠慮して縮こまって生きることに、いったい何の意味があるのか。
何かを我慢してまで「いい人」でいようとするその先に、いったい何があるのか。

 

…やりたいことをやって生きよう。
どこまでやれるかはわからないけれど、自分の可能性に賭けて、自分のやりたいことや自分のやるべきことを、とことんまでやってみよう。

それがやれるかどうかは、実際にやってみなければ決して分かりはしない。
やってみて、もしダメだったなら、単にそれをやめてしまえばいい――ただそれだけのこと。

もし立ち直れないような大ダメージを負ってしまうのなら話は変わってくるかもしれない。
でもそうでないなら、心が動くことは全部やってみよう。
この命も、どうせいつかは消えてなくなる。
恐れや不安のせいでやりたいことを諦めることこそ、もったいない。

人とのコミュニケーションも同じだ。
言葉を投げかけてみなければ、相手がどんな反応をするかは分からない。
なのに相手の反応を勝手に想像して、言うべきことを言わずにいる。
変に気を遣いすぎて、自分を押し殺してしまう。
――そんなふうに遠慮ばかりしていて、果たして生きる意味はあるのだろうか。

もちろん、相手への思いやりは必要だろう。
だが、たった一度きりの人生であるなら、成功しようが失敗しようが関係なく、自分の心が求めることをやり、この人生を全力で面白おかしく駆け抜けてやろう。

 


あの日に感じた想いは、今も僕の中で生き続けている。
もちろん当時の若かりし頃と今の僕とでは、全く同じ考えというわけではない。
今では僕にも守るべき大切なものもあり、自分を取り巻く状況も当時とは全く違う。
けれど、“命が一度きりである”という事実だけは、変わらない。

そして僕の人生が一度きりしかないように、他の誰かの人生も、同じく一度きりのもの。
だからこそ僕は他人の人生も応援したいし、だからこそ僕は、こうして情報発信を続けている。

 

ということで、今回は何ともまとまりのない話になってしまいましたが、もし今回の話であなたの心に響く何かがあったなら、嬉しく思います。

では。

仁より