今回は「感謝」についての話をしようと思います。
人から感謝をされると、誰でも嬉しいと思います。
では感謝されると、なぜ嬉しいのか?
それは「自分の行った行為には価値がある」と相手が感じてくれた、認めてくれたから、ですよね。
価値のあることをしてもらった、価値を与えてもらったと相手が感じているからこそ、相手も感謝してくれているわけです。
つまり感謝されるということは、「自分は価値のある存在だ」ということを目に見える形で他人に証明してもらったも同然なわけです。
だから感謝されると僕らは嬉しくなるのです。
そして感謝には、もう1つ意味があります。
それは「感謝とは、相手に敬意や尊敬の念を表す行為である」ということ。
これはどういう意味かというと、例えばですがいわゆるパシリって何やっても感謝されないですよね。
パシリはやって当たり前であり、パシリは完全に見下されているわけです。
では逆に、自分が尊敬する人や先生として敬っている人に何かしてもらったなら、心から感謝しますよね。
同じことをしてもパシリは感謝されないが、尊敬し敬われている人間は感謝される。
つまり感謝には、その相手に対する尊敬の念が含まれているということ。
相手に対する尊敬の念があるからこそ、感謝の念が生まれるのです。
ところで話は変わりますが、一昔前は「女性が家事を全てやって当たり前」の時代がありました。
これが良いか悪いかは別として、例えばその女性が「家事は女性がやるものだ」という信念の元、誇りと責任をもって家事をするのは良いと思います。
でもそれを見た男性が「そうそう、家事は女がするものだよな」なんて発言したなら、どうです?
「は?男のお前が言うな」って女性は腹が立ちますよね。
では今度は男性が「生活費を稼いでくるのは男の仕事であり責任だ」という信念の元に頑張って働くとします。
でも自分の奥さんに「そうそう、男が稼いでくるのが当たり前よね」なんて言われたら、働く気も失せてしまうんじゃないでしょうか。
やる側が信念をもって自らそれをやるのはいいのですが、してもらう側がそれを「当たり前のこと」とするのは、ちょっと違いますよね。
そこには相手に対する尊敬のカケラも無いわけです。
仮に自分は「当たり前」だと思ってやってても、その行動に対して相手が敬意を表す、つまり感謝をしてくれたならとても嬉しいし、「よーし、もっと頑張るぞ」って気持ちにもなりますよね。
この世界に「やってもらって当たり前」のことなど何一つ存在しません。
僕は当たり前のこととして自分の子供を育てていますが、自分自身の親に対しては育ててもらったことにすごく感謝していますし、それを言葉にして親にも伝えています。
男性でも「デート代は男が負担するのが当たり前」とは思っていても、相手の女性に笑顔で「払ってくれてありがとう」と言われたら嬉しいですよね(笑)
ということでまとめると、「感謝」とは相手の存在価値を証明する行為であると同時に、相手に対する敬意や尊敬の念を表現する行為でもある。
つまり「感謝の言葉」は相手の自己肯定感や幸福感といったものを爆上げする魔法の言葉なのです。
人間関係の構築が上手い人というのは、意識的にか無意識かはわかりませんが感謝の言葉をよく使います。
もちろん何でもかんでも「ありがとう」って言いまくればいいわけではありませんよ。
言う時はちゃんと言葉に気持ちや感情を込めて言わないと、効果はありませんからね。
自分の中にあったこれまでの「やってもらって当たり前」を一つひとつ見直していき、感謝の言葉をどんどんプレゼントしていきましょう。
では。
仁より