#88『人間関係が楽になった日、僕が手放したもの』 | Life Compass

#88『人間関係が楽になった日、僕が手放したもの』

幼少期から、ずっと人間関係に強い苦手意識を持ちながら僕は生きてきた。
でもある時期から、人間関係が自然と楽になり始めた。

昔と今とでは一体何が違うのだろう?
その理由を考えたとき、最初に浮かんだのは少し乱暴な言葉だった。
「僕はきっと他人のことが、どうでもよくなったんだな」と。

 

■昔の僕は、執着の塊だった

周りのみんなから、
いい人だと思われたい
理解されたい
必要とされたい
認められたい
そして、周りの人を助けて感謝されたい

今振り返ると、僕はこういった気持ちを過剰なほど抱えて生きていた。

でも、どんなに言葉を尽くしても、自分のことを100%理解してもらうことはできない。
相手と僕とでは、生きてきた人生のバックボーンがまるで違うので、価値観も考え方もまるで違う。
だから同じ言葉を使っていても、そもそもの前提条件が違っていたりするから、話がかみ合わないことは当たり前のように起こる。

あるとき、こんな問いが頭に浮かんだ。
「仮に赤の他人から理解してもらったとして、それで僕の人生において具体的にどんな良いことが起こるだろうか?」

正直に答えると――ほぼ、ない。
ただ、僕自身が少し安心できる。それだけだった。

 

■「助けたい」の裏にあったもの

以前の僕は、誰かのために一生懸命になれる人間だった。
自分のことを差し置いてでも、他人を手助けしようと動く。
それが僕という人間だった。

でも「人を助けたい」という気持ちも、今思えば純粋ではなかった。
感謝されることによって、「自分は価値ある存在だ」と証明したかっただけ。
助けることが目的ではなく、承認を得ることが目的だった。

だから助けても、思ったような感謝が返ってこないと、どこかモヤモヤしてしまう。
人間関係の苦しさの原因は、相手ではなく、そういう自分の動機にあったのだと思う。

 

■冷たくなったのではなく、軸が変わった

実は他人からの理解や承認を求めなくなっていくと、一時的に孤独になる。
人間関係に変化が起こり、離れていく人も出てくる。

なぜならそれまでの人間関係が、「理解されようとする行為」の上に成り立っていたから。
その土台が消えれば、これまでの人間関係は自然と縮小していくことになる。

実際に僕自身、理解を求めなくなってから周りと衝突することは少なくなったが、自分と周りとの間に壁を作っているような感覚に陥った。
僕のことを理解してもらおう、僕の気持ちを分かってもらおうと説明したり、または言い訳したりすることが無くなったため、口数も少なくなった。

最初は「僕は冷たい人間になってしまったのかな…」と感じた。
でも、違った。

これはその人間が冷たくなったのではなく、自分の価値を他人に委ねなくなったことによる変化。
価値の基準が他人から自分の手に移ることによって、この変化は必然的に起こる。

その人間の在り方が変わり始めると、人と関わる理由や目的そのものが変わり、自分を取り巻く人間関係そのものが変わっていく。

 

■関係は縮小する。でもその先に、本物がある

承認欲求ベースで繋がっていた関係は、承認欲求がなくなると維持できなくなる。
だから人間関係は一時的に縮小する。

でも、その先がある。
本来のあなたの軸に周囲の人間が触れることにより、新たな人間関係が少しずつ再構築され始める。
数は減るけれど、その質はより深く、より濃く変化していく。

今の僕は、相手をちゃんと見て、必要なタイミングで必要な分だけ手助けできるようになれたと思う。
人から何かお礼を言われても「ただ自分がやりたいから、やっただけ」と、ごく自然に思えるようにもなった。
いわゆる無駄なマウントの取り合いも、生産性のない自己主張もしなくなったし、そういったことに巻き込まれることも今はない。

もちろん承認欲求がゼロになったというわけではない。
ただ、僕の心も、僕自身の人間関係も、以前では考えられないくらいとても穏やかになった。

周囲の人間を変えたところで、人間関係は自分の思うように良くはならない。
でも自分の在り方が変われば、自分を取り巻く人間関係もそれに合う形に変わっていく。

自分の現実を変えるためには、これが一番の近道であり、そして最も有効な方法。
自身の経験から、僕はそう確信しています。