他人に期待するのをやめた。
そして僕は、嫌われる努力を始めた。
厳しい家庭で生まれ育った僕は、幼少期から成人するまで、父からの命令や周囲の人間からの指示に従いながら生きてきました。
自分の人生を、自分で決める権利を与えられていない。
勝手な判断、自発的な行動は許されない。
だから何をするにも、誰かに決めてもらう。
そしてその責任は、指示を出した人間に背負ってもらう。
それが当たり前の世界で、僕は育った。
やがて社会人になった僕は、いわゆる典型的な指示待ち人間になっていた。
仕事で何かトラブルが発生しても、自分の意思では動けない。
誰かが動いてくれるまで、誰かが何とかしてくれるまで、ただじっと待ち続ける。
そして誰かがその責任を背負ってくれないと、怖くて何もできない。
完全に、誰かに依存しないと生きていけない人間になっていた。
そうなると、誰かが僕のために動いてくれないと、僕の人生は成り立たない。
やがて物事が思い通りにいかなくなると、
「あの人は何で動いてくれないんだ」
「これくらい、やってくれて当たり前だろ」
そうやって僕は、心の中で他人を責めるようになっていた。
気づけば、被害者意識の塊のような人間になっていた。
そして僕は他人を責めながらも、同時に誰からも好かれようとしていた。
自分が嫌われることに対する、強い恐怖心があったのだと思う。
でも冷静に考えれば、これは当たり前の話。
常に誰かに依存しているわけだから、周りに嫌われたら僕の人生は終わってしまう。
他人に期待し依存することと、他人に好かれようとすること。
この二つは、一見すると別の話に見える。
でも実は、根っこは同じ。
自分の人生の主導権を、他人に渡しているという点において。
「なぜ他人は、僕の思うように動いてくれないのか?」
「何でもっと、気を利かせようとしてくれないのか?」
「何で、僕にとって当たり前のことができてないのか?」
かつての僕は、いつも心の中に不満を抱えていた。
でもある時、やっと気がついた。
相手への期待のほぼ全てが、単なる「僕にとって都合の良い願望」でしかなかったことに。
当たり前の話ですが、その人にはその人の人生があり、みんな自分の人生のために生きている。
僕のために生きているわけではないし、僕を補佐するために生まれてきたわけではない。
そして僕自身だって、常に周りの望む通りに動けているのか?と言われれば、決してそんなことはない。
自分ができていないのに、それを他人に望むのは、ただの自己中でしかない。
それから僕は、考え方を変えた。
他人への期待のハードルを、まさに地面すれすれまで下げた。
「まぁ、どうせやってくれないだろう」
常にその前提で生きるように変えた。
これは会社の同僚や友人知人、親きょうだいや子供といった家族など、自分が関わる全ての人間に対して。
他人に対して都合のいい期待はしないし、基本的に他人は当てにしない。
そうやって他人に過剰に期待するのをやめてから、人間関係でイライラすることが目に見えて減り始めた。
相手の行動にも一喜一憂しなくなったし、振り回されなくなった。
そして今度は、相手が思いかけず何かしてくれると、以前のようにそれが当たり前だと感じなくなった。
「あぁ、有り難い」とごく自然に感謝ができるようになり始めた。
またこの頃から、自分が付き合うべき相手もきちんと選別するようになった。
付き合う基準は「ちゃんと他人に敬意を払える人かどうか?」。
基本的に、僕に敬意を払おうとしない人間は、僕は相手にしない。
相手にしないと言っても、全く無視するというわけではありません。
仕事であればちゃんと連絡や報告はするし、仕事がスムーズに進むように周りと連携もきっちり取ります。
やるべきことはやる。
むしろ誰よりも、きっちりとやる。
でも仕事内容は共有しても、それ以外は一切共有しないし、僕に関する情報も渡さない。
喜怒哀楽も共有しないし、相手に対しては常に無関心で一切興味も持たない。
相手に何か変に誤解されても、その誤解を解こうともしない。
相手から何と思われようと、関係ない。
なんだか僕がすごく冷たい人間に見えるかもしれませんが、これは特定の人間を攻撃するためではなく、自分を守るためのもの。
剣を持って攻撃するのではなく、自分を守るための強力な盾を持つイメージ。
僕を見下してマウントを取ってきたり、悪意を持って僕の邪魔をしようとする、そういった「僕に揺さぶりをかけて足を引っ張ろうとする人間」を、僕の世界から締め出す。
僕の世界で好き勝手することを許さない、みたいな感覚でしょうか。
付き合う相手を選別するようになってから僕は、好かれることへの執着も自然と手放せるようになっていった。
むしろ
「付き合いたくない相手に、どうやって嫌われるか?」
そう考えるようになった。
嫌いな人や合わない人から、
いかに近寄りがたいと思わせるか?
避けたいと思わせられるか?
関わりたくないと感じさせられるか?
ある意味、嫌いな相手から、どれだけ嫌われることができるかチャレンジしている状態(笑)
ここまでくると、もうその相手がどうでもよくなってくる。
実は仲良くする必要がなかったんだということに、心から気づけるようになる。
誤解しないでほしいのですが、これは決して誰かを攻撃するためのものではありません。
先ほども話した通り、特定の人間を攻撃するための剣ではなく、自分を守るための盾を持とうという話です。
全ては自分を守るための線引きなのです。
他人に期待するのをやめてから、僕は他人に振り回されることが無くなった。
嫌われる恐怖から解放されてから、自分らしく生きられるようになった。
どちらも、相手が変わったわけではない。
ただ、僕が自分の人生の主導権を取り戻しただけ。
そして主導権を取り戻した人生は、思っていたより、ずっと静かだった。
