「人生に無駄な経験など、ひとつもない」
これは、昔から様々な偉人によって言われてきた言葉です。
確かに僕も、これには同意します。
ですが、積極的にするべき経験もあれば、むしろ避けるべき経験もあると僕は考えます。
特に人間関係においては、学ぶべき相手もいれば、逆に関わるべきでない相手というのもいる。
いわゆる否定的なネガティブエネルギーで周囲を汚染する人間というのは、関わってもいいことがない。
それどころか、気づかぬ間に人生レベルで大きなマイナスを被ることになる。
だから僕は、付き合う相手はちゃんと選ぶように、周りにも勧めている。
しかしかつての僕はそうやって人間関係を意図的に選ぶようになってから、新たな壁というか、メンドウな悩み事を抱えるようになった。
その時の状況を、今回は話そうと思う。
「付き合うべき相手を選別する」という目で周りの人間を観察するようになってから、かかわるべきでない人間が自分の身近にも存在することに僕は気づき始めた。
元々は対人恐怖症で、人間関係が壊れるのを誰よりも恐れていた人間でしたが、この時の僕は本気で自分の人生を変える覚悟を決めており、人生を変えるためには環境、特に自分を取り巻く人間関係を変える必要があることを、僕は理解していた。
だから関わるべきでない相手、遠ざけるべき相手に対して、僕は自分の職場でも一切遠慮しなかった。
愚痴や泣き言や多少の不平不満は笑って聞くが、意識的・無意識に関わらず、僕に対して悪い影響を与えようとする相手に対しては、「俺に関わるなオーラ」を職場であろうと遠慮なく出す。
その相手には、用事がなければこちらからは一切話しかけない。
仮に話しかけられても必要最低限の言葉しか返さない。
目も合わせず、ニコリともせず、常に無表情で接する。
「さすがにこれだけ徹底すれば、伝わるはず」
そう思っていた。
しかし不思議なことに、なぜか相手は何事もなかったように寄ってくる。
いや、あれだけの態度をずっと取り続けていたから、何かしら伝わっているはず。
でも僕が他の人と話していても、ごく当たり前のようにその会話に入ってくる。
用事があれば、何事もなかったかのように話しかけようとしてくる。
…おかしいな。
相手に伝わってないのか?
いや、ここまで露骨な態度をしているのに気づかないわけがない。
…であるなら、もっとあからさまに態度に出すべきか?
いや、これ以上やると仕事にも支障が出かねないしな。
どうしたものか…
考え続けた結果、あることに気づいた。
もしかすると問題は、僕の発信の強さではなく、別のところにあるんじゃないか?
人はそれぞれ、違う受信機を持っている
僕たちは無意識に、「自分が感じることは相手も同じように感じているはずだ」と思い込んでいたりする。
たとえば…
自分が誰かに冷たくされたら傷つく。
だから相手も、冷たくされたら傷つくはずだ。
自分が空気を読む。
だから相手も、同じように空気を読んでいるはずだ。
でもこれは、自分の感受性を相手に投影しているだけに過ぎない。
人はそれぞれ、異なる「受信機」を持っている。
受け取れる信号の種類も、感度も、解釈の仕方も、人によってまったく違う。
だから僕の「ここまで態度に出せば、伝わるはず」は、僕自身の勝手な思い込みでしかない。
「察してくれるはず」も、「分かってくれるはず」も、同じく思い込み。
同じ出来事を目の前にしても、人によって見えているものも、受け止め方も、まるで違う。
たとえば人から褒められても、「実力や頑張りが認められた」と受け止める人もいれば、「相手から見下された」と受け止める人もいる。
スポーツで試合に負けた時、悔しくて泣く人もいれば、「楽しかった、またやりたいね」という人もいる。
同じ出来事、同じ言葉、同じ経験でも、人によって何を見ているのか?どのように受け止めているのか?が、それぞれ違う。
それが人間関係の難しいとこであり、僕らにはどうしようもない前提でもある。
感情で距離を作ろうとすると、消耗する
以前の僕のような「俺に関わるなオーラ」みたいなものを出すのは、いわゆる感情的なアプローチといえる。
これは「自分の気持ちを整理する」という意味では有効かもしれない。
でも「相手の行動を変える」ツールとしては、かなり不確か。
なぜなら、相手の受信機がこちらの信号に合っていなければ、何も届かないから。
それどころか、感情的アプローチには別のコストがかかる。
自分の感情を態度として出し続けるには、エネルギーがいる。
「まだ伝わっていないのか」という消耗感も積み重なる。
結局、疲弊してしまうのは自分の方。
感情ではなく、構造で距離を設計する
では、どうするか。
答えは、感情ではなく構造で相手との距離を作ること。
構造とは何か。
それは、物理的に接触する機会そのものを減らすこと。
会社なら、業務の仕組みや流れを変えて、相手との直接的なやり取りが発生しにくい形にすること。
必要なら第三者を間に挟むこと。
感情は相手に「届くかどうか」が、正直分からない。
であるなら、取れる手段は今ある構造を変えること。
構造は、自分の側で設計できる余地がある。
そして相手の受信機の性能に左右されないし、こちらの意図が伝わらなくても関係ない。
態度で伝えようとするのをやめた瞬間、当時の僕は不思議と気持ちが楽になったのを覚えている。
なぜなら「なぜ伝わらないのか⁉」と頭を悩ませることから、もう解放されるから。
伝わらないのは「相手の受信機がそういう仕様だから」、ただそれだけ。
感情や態度ではなく、構造的に相手との距離を作り出す。
人間関係は、意外と壊れない
実はこの件で、もうひとつ気づいたことがある。
昔の僕は、周りとの関係が壊れることをすごく恐れていた。
だから以前は、常に細心の注意を払いながら人付き合いをしていた。
少しでも相手を不快にさせたら関係が崩れてしまう、そんな不安や恐れを抱えながら毎日を過ごしていた。
でも実際には、人間関係は意外なほど壊れなかったりする。
では、なぜ思ったほど壊れないのか?
それは、人は「自分が思っているほど相手のことを気にしていないから」。
多くの人は、自分のチャンネルに合った信号しか受け取れない。
だから、以前の僕のように「俺に関わるなオーラ」をヤバいぐらいに発信したとしても、チャンネルが合わなければ相手にとってはただのノイズ程度にしか処理されない。
相手がどんなチャンネルを持っているかは、正直わからないことが多い。
何気ない一言が、その人にとっての地雷だったりすることもある。
でも先ほども言ったが、人は自分が思っているほど相手のことを気にかけていない。
基本的に人は誰しも自分の人生が最も大切で重要であり、他人の言葉をいちいち気にかけるほど暇じゃない。
このことに気づいてから、人間関係への恐れがグッと薄れた。
そして、それに反比例するかのように、自分のやるべきことに集中できるようになった。
自分軸で生きるとは、関係を「設計」すること
人間関係を選ぶようになって分かったのは、「感情で戦わない」ということの大切さ。
合わない人を嫌いになることは、決して悪いことではない。
でも、その感情を振り回して相手を動かそうとすると、自分が消耗するだけで終わる。
相手の受信機は、自分には変えられない。
でも接触の構造は、自分で変えられる。
感情ではなく構造で動く。
それが人間関係を自分仕様に整えていく、一番現実的な方法だと思っている。
仁より
