「魅力的な人間になるには、自分の直感とは逆を行け」
これは僕が尊敬するメンターの、あるコンテンツの中で発せられた一言です。
かつての僕はいわゆる対人恐怖症で、人とどう接したらいいのかも分からず、人間関係に大きな悩みを抱えていた。
そんな時、メンターからこの言葉をもらい、これが僕自身の人間関係を攻略する上でのヒントとなった。
ところで、直感とは逆を行く行為がなぜ人間的魅力に繋がるのか?
人間関係を攻略していく中で見えてきた答えは、シンプルなものでした。
いわゆる直感というのは、実はどこか天から降ってくるようなひらめきではない。
今までの自分の経験からくる、判断や意思決定を短縮する回路のようなもの。
例えばAという問題が起きたとする。
それをどう解決すべきかB→C→Dと考えていき、Eという答えにたどり着くとする。
直感とは、途中の思考過程であるB→C→Dをすっ飛ばして、いきなり答えのEにたどり着く現象のこと。
その中身は決して神秘的なものではなく、自分の過去の経験が瞬時に答えを弾き出しているだけに過ぎない。
つまり直感というのは、「これまでの自分」が、自身の経験から導き出した答えということ。
仮にあなたが、今の自分や、これまでの人生に十分満足しているのなら、そのまま直感に従えばいい。
でももしそうではなく、今の人生パターンからあなたが抜け出したいのであれば、その「これまでの自分」の結論をそのまま採用するわけにはいかない。
だからあえて直感とは逆を行くという発想が必要になる。
■疑うべきは直感そのものではない
ただ、ここで誤解してほしくないのは、僕はすべての直感を無条件に否定しているわけではないということ。
たとえば将棋の棋士が盤面を見た瞬間に「筋がいい手」を感じ取る。
熟練の医師が患者を一目見て違和感に気づく。
こうした専門領域における直感は、膨大な経験の蓄積が生んだ精度の高い判断であり、これを疑う必要はない。
僕が疑っているのは、検証されないまま居座り続けている「常識」の方です。
「こう答えるのが普通」「こうするのが当たり前」という、教科書通りの一度も疑われたことのない前提。
それが本当に正しいのか?
それとも単に自分がこれまで一度も疑ったことがなかっただけなのか?
そこを一歩立ち止まって確かめる。
それが僕にとっての「直感への懐疑」の正体。
とは言え、僕も普段からそこまで神経質に考えているわけではありません。
ただ、重要な決断をする場面だったり、人との会話で「こう答えるのが普通だろうな」という空気を感じた瞬間には、僕はあえてその流れには乗らない。
■会話の中で、あえて斜め上を行く
「僕はあえてその流れには乗らない」とは、どういうことか?
たとえば日々の会話でも、「こう答えたほうがいい」「普通はこう答える」といった場面がありますよね。
そんな時、僕はあえて一般的な感覚から外れたような発言をすることがある。
ただし、その中身は、相手によって変えている。
たとえばですが、相手が女性や年下の男性なら、真面目な顔で真剣に話しながらも、合間にクスッと笑えるような、ふざけた一言を挟むとか。
すると、場の空気が和らぐと同時に、相手の印象にも残りやすくなる。
また年上の男性が相手なら、逆にあまりふざけたことは言わない。
代わりに、相手が気づいていないような視点からの意見を、言葉の中にさりげなく混ぜていく。
正面から相手の常識を否定すれば、経験を積んだ人間ほど防御的になる。
だからこそ、相手のメンツを守りながらも、静かに相手の思考を揺さぶる。
そしてこの使い分け自体、実は一種の直感的判断です。
相手のタイプを見た瞬間に、どの角度から相手の思考や感情を揺さぶるべきかを判断している。
つまり僕がやっているのは、直感を否定することではなく、使う場面と使わない場面を見極めた上で、直感を戦術として使い分けるということ。
■立ち止まる、というだけのこと
ここまでの内容を踏まえ、僕がやっていることを一言で表すと「流れのまま進むのではなく、ちょっと立ち止まって考えてみる」。
言葉にすればそれだけのこと。
ですが、この小さな一拍が、自分を今の場所に留めている「無意識の癖」に気づくきっかけになる。
直感に従うか?逆らうか?の二択ではなく、自分が導き出した答えが、どんな前提の上に成り立っているのかを、時々でいいから確かめてみる。
それだけできっと、あなたの人生のパターンは少しずつ変わっていくはずです。
仁より
