「自分に向いてる仕事がしたい」
「好きなことや得意なことを仕事にしよう」
または
「自分には何が向いているのか分からない」
こういった言葉を、よく聞きます。
でも僕は、この「向いている」という言葉に、昔からずっと違和感を持っています。
なぜなら僕自身、自分に一番向いていないと思っていた仕事を、20数年、天職のように続けてきたからです。
■明らかに向いていない仕事に、僕は飛び込んだ
正直に言うと、葬儀業界に飛び込んだ時、僕は自分にまるで向いていないと思っていました。
かつての僕は対人恐怖症で、他人と話すこと自体に人一倍の苦手意識を持っていました。
人の顔色をうかがい、言葉を選びすぎて疲れ果てる。
そんな人間が、「身内を亡くした直後の遺族」という、最も繊細な感情を持つ人たちと向き合い続けるサービス業に就いたのです。
適性で言えば、完全にゼロだったと思います。
それでも結果的に、僕はこの仕事を一生の仕事にしています。
そしてそれと並行して、十年以上、人間関係についての情報発信を続けています。
これも冷静に考えれば、僕にとっては最も苦手な分野のはず。
得意だからやっているのではありません。
むしろ逆で、向いていなかったからこそ、続けてきた。
■「向いてる」には、二種類ある
ここで気づいたことがあります。
「向いてる」という言葉には、実はまったく別の、二つの意味が混ざっているということです。
一つは、生まれつき得意で、苦もなくこなせるという「初期適性」。
もう一つは、その仕事を通して、結果的に人に何を提供できるかという「結果としての適性」です。
世の中で言われる「向いてる仕事を選ぼう」は、ほとんどが前者の話をしています。
でも僕が20数年やってきたのは、明らかに後者でした。
そして興味深いのは、この二つが逆相関することがあるという点です。
最初から得意な人は、苦手な人がどこでつまずくのか、体感として分かりません。
「えっ、なんでできないの?」で終わってしまう。
でも僕は苦手だったからこそ、人の何倍も観察し、言語化し、考え続けてきた。
その苦労の蓄積そのものが、今の発信の解像度になっています。
■苦手だからこそ、見える景色がある
これは、葬儀という仕事そのものにも重なる気がしています。
死は、誰もが本能的に目を背けたくなるものです。
その死に、僕は職業として20数年向き合い続けてきました。
元々適性があったから、続けられたのではありません。
逃げずに向き合い続けたことで、他の人には見えない景色が、少しずつ見えるようになっていっただけです。
「向いてる」は、原因ではなく結果として、後からついてくるものなのだと思います。
もう一つ思うのは、得意なことは本人にとって空気のように当たり前すぎて、それが価値だと気づきにくいということです。
逆に、苦手だったことを乗り越える過程は、意識的に技術化され、言語化されます。
だからこそ、他人に教えられる形になる。
得意な人は、感覚でできてしまうぶん、教えるのが下手なことも少なくありません。
■指針にすべきは「向いてるか」ではない
だとすれば、「自分に向いている仕事を探す」というアドバイスは、半分しか正しくないと僕は思います。
本当に指針にすべきなのは、こういう問いです。
「たとえうまくいかなくても、つい向き合おうとしてしまうものは何か?」
「たとえつまずいても、それでも考え続けてしまうものは何か?」
向いていないことであるほど、そこから逃げずに向き合った先に、誰にも真似できない武器が眠っていたりするものです。
僕にとってその武器は、よりによって自分が一番苦手だった「人間関係」というテーマそのものでしたが。
もしあなたが今、「自分には向いてる仕事なんてないんじゃないか」と感じているなら、あなたの苦手とするものの中に、実はまだ見ぬ武器が隠されているかもしれない。
「向いている仕事」を探すのではなく、「向いていないのに、なぜか気になるもの・なぜか向き合い続けてしまうもの」を探してみてください。
そこに、あなたの人生を変える武器が眠っているかもしれません。
