感情的になるな。
冷静に、理性的に判断しろ。
そんな言葉を、僕たちはよく耳にします。
感情というのは、自らの判断を鈍らせるノイズであり、理性でコントロールすべき厄介なもの。
そんなイメージを、多くの人が持っているのではないでしょうか。
僕自身も、長らくそう思っていました。
でも、ある研究を知って、そのイメージは完全にひっくり返りました。
■人は感情を失うと、何も決められなくなる
神経科学者のアントニオ・ダマシオが報告した、ある患者の話があります。
その患者は、脳の一部(感情の処理に関わる領域)を損傷したことで、知能や記憶力、論理的な思考能力はまったく正常なまま、感情だけがほとんど感じられなくなってしまいました。
一見すると、これは理想的な状態のようにも思えます。
感情に振り回されず、純粋な論理だけで物事を判断できるのですから。
ところが、実際に起きたのはまったく逆のことでした。
「今日はどのペンを使うか」「どのレストランで昼食を取るか」といった、ごく些細な決断にすら、何十分もかけて延々と迷い続けるようになったのです。
ものごとの損得を、頭の中で永遠に分析し続けるだけで、決められない。
感情を失ったことで、この人は「決める」という力そのものを失ってしまったのです。
■なぜ、感情がないと決められないのか?
ダマシオはこの現象を、「ソマティック・マーカー仮説」という考え方で説明しています。
人が何かを選ぶ時、実は純粋な論理計算だけで決めているわけではありません。
過去の経験に紐づいた、身体的な感覚や感情の反応が、無意識のうちに選択肢に「良し悪しの重みづけ」をしています。
「なんとなく嫌な感じがする」
「これは、なんとなく良さそうだ」
こうした感情的な直感が、無数にある選択肢を瞬時にふるいにかけてくれているのです。
このふるいがあるからこそ、僕たちは日常のあらゆる選択を、いちいち全部比較検討することなく、スムーズに決めることができているのです。
しかし感情を失うと、このふるいが働かなくなる。
すべての選択肢が等しく価値があるように見えてしまい、論理だけでは決め手がなく、延々と比較し続けることになる。
理性は、感情の代わりにはならないのです。
■感情は、決断を可能にする土台だった
この話を知って、僕は自分の中の思い込みに気づかされました。
感情というのは、決断の邪魔をするノイズなどではない。
むしろ決断するために必要な、土台だった。
「感情的になるな」「冷静に理性で判断しろ」という言葉は、半分は正しいのかもしれません。
感情に飲み込まれて、我を忘れてしまうのは、たしかに危険です。
でも、感情そのものを切り捨てようとするのは、まったく別の話です。
感情を完全に切り捨てた先に待っているのは、冷静で賢い自分ではなく、何一つ決められない自分だということを、この研究は教えてくれます。
■感情を、羅針盤として使う
だとすれば、大事なのは感情を抑え込むことではなく、感情を正しく扱うことなのだと思います。
「なんとなく嫌だ」という違和感を、無視すべきノイズとして切り捨てるのではなく、大切な判断材料として扱う。
「なんとなく良さそうだ」という直感を、根拠がないからと退けるのではなく、これまでの経験が導き出した一つのサインとして受け止める。
理性と感情は、対立するものではありません。
理性だけでは決められないし、感情だけでは暴走してしまう。
その両方があって初めて、人は自分の意志で物事を決めていくことができる。
僕らの持つ感情は、僕らの判断を鈍らせる弱点ではなく、むしろあなたがこれまで生きてきた経験たちが教えてくれる、大切な羅針盤なのかもしれない。
